人類への脅威

人の生存を脅かす4件実行行為国、日本

1. 人を罪人に仕立てあげる

2. 人の1社会を不健全なものにする

3. 人の人格を事実無根で破壊しその存在を冒涜する

4. 人と人との繋がりを断ち切る


生物は進化という変化を遂げていくものである。

この変化は決して後退していくものではなく、更新進行していくものである。

単細胞から多細胞に。単純機能から複雑多様多彩機能へと。例え退化現象があろうが進化であり、例え元の世代に一見逆戻りしたかのような形質の変化が見られようが退行進化なのである。

この地球上で最も進化した動物はヒトである。ヒトに最も近縁な生き物はサルであるが、このサルとヒトとの進化上の相違は何であるか。動物の形質的進化系統ではなく別の観点で捉えていく。

動物界で本能の知を獲得した動物は、自己と自分が所属する群と自分の種とが滅びることが無いように、そうして必要な繁殖がなされていくように本能が絶えず自動的に機能し調整がなされている。そして生物には基本的に種の保存がある。

群をなすサルの社会ではどうか。サルである。ヒトの属性を幾つか持つ生き物である。個体同士で戦いがあり、過当競争もあろう。嫉妬もあるかもしれない。何よりもボス統治社会であるのでその位置を得る闘争は熾烈なものがある。然し、仲間同士の戦いは自己と自分が所属する群と自分の種とが滅びることになりかねないので過度の手前で抑止の本能が働いているようで種の絶滅を逃れてきている。

では、人の社会はどうか。

人類の歴史は勢力拡大の争いを絶えず行い続けてきており、互いに食うか食われるか、即ち、生きるか死ぬかの命を賭けた凄絶な戦いを繰り広げてきている。然し、人類は絶滅すること無く命を繋ぎ地球上に増え広がり満ちている。その時時に危機から脱する知恵と本能が働き懸命な判断がなされてきたと思われる。これは、もしかしたらサルの個人・群・種の滅び回避の領域であるかもしれない。


それでは、サルに無くヒトに有るヒト固有の滅亡への危機とは何かあるであろうか。

サルとヒトとを分けた進化は、脳の発達に著しい違いをもたらし比べものにならない程の知能の発達をヒトは得た。その結果としてヒトは精神世界を持つ者となった。


喜怒哀楽はサルにもある。それは、感情の表層の感覚的領域で表されているのではないか。然し、ヒトはそれを更に思索を深め内省を試み、他者と分かち合い、自他の向上を図ることをするものである。この深める思索の精神世界の領域でヒトは善悪を判別する能力の良心と出会い、天罰意識が芽生え、ヒトと自然界を超越する存在を意識し始めたのではないだろうか。


ここでヒトとサルとの決定的違いが生じた。サルの個人・群・種の滅び回避は本能による自然界の脅威と外敵と種間内闘争であろうが、ヒトはその他に善悪の悪を人の生存の脅威と捉え悪事は赦さずの法体系を生み出した。


そして、サルと分かたれたヒトはその後、サル近縁種の時代にはサルと共に植物を食料にしていたが、ヒトは動物を自分達の食料の重要なものとした。動物を殺して食する行為は動物の血を流す行為で、血を流すと動物は死ぬもので、血は命であるの認識を持ち、超越者と自分の罪と天罰の意識の中で罪滅ぼしの思索が生じ自分に代わって献げられる動物の血を流しての贖罪意識が生じた。


余談ではあるが、ヒトは進化の頂点者としてそれに相応しい存在として、進化のヒト未満の全てを統べ治める者となり、それは超越者なる創造主の属性である。


そういうことで人個人に、その集合体である人の社会に善と悪とが入り込んだ。善と悪とを判別する知能はそれと共に人に善は奨励され悪は否定される価値観を伴わせ、他の動物にはない人に善悪をもって人の社会を統治させる能力を与えた。善と悪とを知り善悪の価値観を持って生きる者となった人は善だけを行い生きることはなく悪をも行う者でもある。故に、ヒトに生じたその知能は1社会の統制の中で嘘を述べたり言い訳を言う知恵をもたらした。ヒト以外の動物の全ては自然界の統治に服し真実な存在であることを表わしているが、ヒトは他の動物には無い自然界の統治の下で不真実性を表わすに至った。


人の不真実性は自然界の統治の下で人の社会を不健全なものにしてしまう。


不健全性とは森羅万象に存在する森羅万象を存在せしめている真理に背き真理から離れ真理に逆らう一切のことが即ち不健全というものである。真理とは在るものを在るとさせているその存在の原理である。最大の不健全性とは即ち偶像崇拝である。この真理から逸脱すること、偶像を崇拝すること、そのところから人の有りとあらゆる間違いが生み出されている。


善悪を知るものとなったヒトは、行いも言葉も心の中にあるものも全き善のみであるなら完全なる者となる。即ち、聖人である。然し人は行いで悪を為し言葉で罪を犯し、行いと言葉で善を表わしても心の中には悪が有る、これが人間である。真実に非ざる者であり聖人とはほど遠い者である。聖人を装う者が他人から心の中を覗かれたら果たして公的活動はできるであろうか。全ての人間の共通の大問題である。善悪を知った人間の大問題とは罪の問題なのである。


ここで話の趣を変える。

人の完全性とは人として1点の欠陥の無いその完全性で、つまり全き聖である。言葉を変えるなら人から不純分子を取り除いた状態である。この時人は、他者を憎む・恨む・嫌う等、人を排斥し退けてしまう人間性は無くなっていると思われる。つまり、聖とは愛と一致し同義語となる。


そこで、全き愛なる存在が人の世界に誕生したならどうなるか。その命は人の世界で成長していくなら、その命は人の世界でいったい何を表わすであろうか。


愛はギリシャ語で3分類されている。エロース・フィリア・アガペーである。全き愛とは最高位のアガペーである。「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」と言われている愛。即ち、自分を犠牲にして他人の命を救うその愛。この愛の存在がこの世に命を表わしたなら、この人の世に何を現わすか。幼少期、少年期、青年期を経て、人が罪故にこの世での死をもって滅んでいく現実、即ち創造主から裁かれ陰府に落とされる命であることを目の当たりにして、全ての人の罪を自らが引き受け罪人なる全ての人の身代わりとなって裁きを受け全き愛の自分の命で全ての人の命を贖い自分を犠牲にして全ての人間を救う、その贖罪の命を現わすことになる。


この命が人の世に現れていたら我々のこの生物の世界とはいったい何であるか、ということになる。


単細胞から始まった生物の進化は動物界に於いては精神界を持ったヒトを生み出し善悪を知る生き物となり、そこに贖罪の命が到来したなら、この生命の一大ドラマは何というべきか。宇宙の始まりのビッグバンは宇宙の終焉を予定している。もし、ヒトはもはや種のレベルでの進化は無いものであるなら、ビックバンはある一つの目的があり生じた事象であり、命を宿した宇宙はヒトを生み出すことを目的に誕生した、ということになり、それは罪故に滅ぶ以外にない人救済を目的に誕生した宇宙ということになる。


つまりは、今から2000年程前にイスラエルのエルサレムに贖罪の命が現わされている(*1)。


聖即ち愛故の贖罪の命は全ての人間の全ての罪をその身に負い陰府に降った。即ち、罪人として裁かれた。然し、そして、裁き主はその命を復活させた。即ち、人への裁きは完全にそれをもって終了させ、人間なる全ての罪人を赦し全ての人を聖なる命と繋がる道を拓かれた。後は罪人なる人がその真理の道を見い出すか否かである。繋がる聖なる命とは永遠に存在している命である。その命と繋がることが永遠の命を得るということである。我々罪人なる人間は、救い主の命と結ばれずしては永遠に存在する聖なる存在とは繋がりをもてない。後は罪人なる人がその真理の道を見い出すか否かである。


天地の創造の前に全き愛の贖罪の命は在り、我々人間の命も在った(*2)。


宇宙誕生のビッグバンはある一つの意思がはたらいて成されている。それは、滅んでいる命を救済する意思である。

その命救済の意思は聖であり全き愛なる存在に在る意思であり、その意志と完全に一致している命がこの世に誕生したイエスの命である。

そのイエスの命は、善悪を知る者となった人が善悪の葛藤の長い人類の年月の経過の中で神への信仰が醸成されていった中東のイスラエルに現れ救いが完成され全世界全人類に知られるものとなった。


先ず聖であり愛の存在が在りき。先ず救いのプログラム在りき。

即ち、宇宙は突然偶然に生じたのではなく、必然的に誕生している。


そういうことで、この人の世とは人の救いの舞台である。「一人も滅びることがないように」というのがこの人の世を支配している意思でありはたらいている力である。

故に、それに反するそれに逆らう力が人の世に生じたならどうなるか。その反逆の勢力の規模と内容によりその支配の力は人類の歴史で人に学びと教訓を与え続けてきている。


反逆の勢力の最も赦されざることとは次の4件である。

1. 人を罪人に仕立てあげる

2. 人の1社会を不健全なものにする

3. 人の人格を事実無根で破壊しその存在を冒涜する

4. 人と人との繋がりを断ち切る



1.聖は聖以外のものとは繋がりを持ち得ない。聖に非ざる者は聖なる者の前で自分の存在を保ち得ず、聖なる者に離れることを求めてしまう(*3)。聖なる者ではない者にしてしまうこととは、人個人個人に罪を存在させることを行う行為である。どのような軽微な罪でもその生涯に於いて1件でも罪を犯すなら罪人なる汚れた者と成る。生涯に於いて行いでは善の実践者であったとしても心の中に軽微1件の汚点が有れば罪人である。この世は、この罪人なる全ての人間の救いが成し遂げられている世界である。「一人も滅びないで、永遠の命を得るため。」(*4)

故に、如何に赦されざる大罪であるかはもはや人語を待たない。即ち、「人を罪人に仕立て上げる」他者の働きというものが。「つまずきは避けられない。だが、それをもたらす者は不幸である。そのような者は、これらの小さい者の一人をつまずかせるよりも、首にひき臼を懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がましである。」(*5)



2.人の不健全性とは真理を知らず真理をわきまえないところに原因を持つ。真理を知る者であるなら、救いが成し遂げられている世で自分の造り主のみを唯一の寄り頼む全てとして生きる。

真理を知らなければ自分の心の赴くまま勝手にこの世の力となるものに頼り生きる者となる。即ちそれは人の心の中で勝手に産み出した偶像への至高意識である。或る者はそれを人の力とし、或る者はそれを金の力とし、或る者はそれを人の想像の産物である神なる者を象った像とする。これらのものの全ては、即ち、自分の造り主であり救い主以外のものを人が自分の命の頼みとするその全てを偶像崇拝という。これ程の不健全な命はない。このところから人の過ちの全てが生じている。それらの過ちの中には人類を破滅させかねないものもある。


例えば、4大文明及びそれよりも規模の小さい文明の全ては神ならぬものを神としていた偶像崇拝の文明であり、おおよそ例外なく支配者はやがては自分を神であるかの如くに崇めさせそれぞれ栄華を極めた文明である。然し、歴史が寸断されたかの如くに忽然と消え失せている。滅んだのである。4大文明の内、黄河文明を例外にして紀元元年前に3文明は滅んだ。そして、真の神が啓示されているカナンの地では預言の言葉による神の国待望による神の国運動が起こり洗礼者ヨハネが道を整えそうしてその地に救いの命が現れた。

時代は今日に近づき、その宣教師が中南米に生じていた偶像崇拝のアステカとインカの文明に終止符を打った。

地球上から甚だしく不健全な偶像崇拝の文明に終焉がもたらされた。


因みに、黄河文明が国民政府により倒された清の国まで継続できたのは、中国全土への仏教の広域的伝播と聖人と言われた孔子の儒教とにより一社会が破滅的な不健全性から免れられたからであろう。


例えば、自然界の自然の秩序に於ける自然の掟というものがある。これは健全性というものである。その中で雌雄両性として存在している種でなければ、その雌雄独立性はその形質が表現しているとおりの独立である。これは自然界の掟では絶対性の法則を持つ。然し、人間というものはこの絶対性の法則を、身に着けた知恵により崩すものである。これを崩した時には人の社会をも包括している大自然が司っている大秩序への挑戦ともいうべき事態であり、故に、人は滅びかねない、と警告が要請されることになろう。

かつてソドムとゴモラの町があった。その史実が記されている旧約聖書では具体的な忌まわしい人の営みは記されていない。然し今日、ソドミーという言葉が伝承されている。そのとおりであったのであるなら如何に不健全な町であったかは想像できる。結果は、故に、天から硫黄が降ってきて一瞬のうちに灰になった。この不健全性は真理無知に所以あり。

今日、精神神経医学の分野で性同一障害という病が言われている。障害である。故に人権の立場と多様化社会の風潮もあり同性婚を認め婚姻法での合法性の確認と制度化する動きが顕著となっている。人はあらゆることで不完全な生き物である。1社会で互いにそのことを認め合い、それぞれが自分の不完全さを克服しながらそれぞれの生活を営んでいる。性同一障害は人個人に生じた障害である。法と制度とを改正することなく個人個人が他の障害と同じく克服し社会生活を送るべきである。大自然の絶対的法則を崩すような法と制度の改正は迫るべきではない。



3.ヒトという生物の個体を人間として尊厳を込め個人を言い表す単位が人格である。人格で人間性・品性・品格が言われ、人格者という言い方があるように人格とは個人に於いて形成されていくものである。然し、ヒトとしての個体発生で個人に元から存在している人格の核というものが有るのではないか。例えば、同じ両親から産まれ同じ環境下で育った者でも性格が正反対という兄弟姉妹は大勢いる。

贖罪の命と書いたが、その命が人の世に現れたら、人の世で何年か後に必ず贖罪を果たす。これと同じように、個人に元からあるその命の核がある。そして人格は形成されていくものであるが、その人格の核は人の世に命となって現れたら生きていく環境がどうであれその命が現わすものがある。

喩での話。

大きな水槽の水溶液の中に大小さまざまな固形物質が浮遊しているとする。水槽の片方の端にA点を設け、もう片方の端にB点を置く。いくつかの形状の物体をA点からB点に向け勢いよく発射させる実験を行う。1番目の物体は流体力学上抵抗値の低い流線型の形状である。浮遊の固形物質にさほど妨げられることなくB点に一直線で最短時間で到達する。2番目の物体は真球の形状である。抵抗を受けながら曲がりながらB点に到達することになろう。3番目の物体は変則的多角多面体である。大変な抵抗を受け紆余曲折し何とかB点に到達となろう。これが、人格の核である。予見も可能である。

例えば、大変な正義漢の核があったとする。ヤクザの家庭に産まれた。ヤクザの道に進んだ。ヤクザの人格が形成されていった。然し、この人格はヤクザの世界に於いても正義を貫くであろう。


つまり、人の世が生まれる前から存在している命がある。その命の為に人の世が創造されている。目的は救い難き者を救済するため。

この命なる核である人格を、被造物で同じ目的の下に生まれ出でてきた他人が事実無根を捏造し人格破壊と冒涜をすることとは、本人と救い主なる創造主への冒涜である。断じて赦されるものではない。



4.人の人格は多種多様千差万別である。そして人間とは不完全な生き物である。この人格の種々雑多と不完全とは一致しているものである。大自然の中で生きるには個体の個人だけでは余りにも非力で個人の能力だけではひ弱な動物であることを表わす。木を切り出す能力のある者と石を切り出す能力のある者とが意思を一つにするなら外敵から身を守る堅牢な住みかを得る。自分に有る能力だけでは人としては不完全であることを表わしている。そうであるなら、できる限り大勢の人と人は繋がり合い一つと成り得るのであるなら、人は全体をもってより人としての完全性を獲得していくことになる。これは人の命の方向性である。(*6)

そうであるので、人と人の繋がりを他人が断ち切ることを行うことがどれだけ罪深いことであるか。ましてや、事実無根の捏造をもってその断絶行為を行うことがどれだけ赦し難い赦されざることであるか。


以上が人類への脅威4件の説明である。



この4件が実際に実行されている。

1. 人に罪悪感が生じないようにし、人の低俗な好奇心を刺激する盗撮・盗聴と人の黙念を盗み取る人権侵害・プライバシー侵害の甚だしい行為を不特定多数の者らに提供し罪人にしてしまい、その不法の虜になる罪人の人口を増やし続けている。人が侵す罪の中で大罪とされている行為。この不法の技術は無管理・無規制のままであるが、これを多くの者が保有し始めたら人類は破滅である。間違いなく人の統治能力を不全にしてしまい社会の秩序は崩壊する


2. 人に嫌悪感が生じて当然とする人の健全性を損なう人の忌むべき営みを、本人の事実に無いことで捏造していることと、それを世の中に流布していることを本人に敢えて分かるように表わし、「1.」の黙念を盗み取る不法で全世界の人達に認識させている。全世界に嫌悪感が生じていること無く人の健全性が全世界的に損なわれている。ソドムとゴモラである


3. 「2.」の捏造行為。人格の破壊と冒涜はその捏造を放置しておくなら取り返しはつかない。不健全性が蔓延している人の社会では真似をする者が後を絶たなくなる。造り主と救い主はその破壊と冒涜を赦さない


4. 同じく捏造行為で人と人との繋がりを破壊する行為。犯罪人は人の世の中で人との繋がりを持つのを困難とする。それを、捏造をもって繋がりを断つことを行うなら、その被害者は2重3重の被害を負うことになり孤立無縁の存在となる。同じく真似する者が生じる。この行為もまた悪魔的である。この行為を日本の警察は常套手段にしている



以上の4件は全て人を創造主から遠ざけ、人から救いを遠ざける行為、或いは、人から健やかさを奪い人の世の中で人を弱らす行為であり、その全ては造り主への冒涜であるその大罪である。即ち、悪魔的働きでその全ては日本の警察庁を中心にした警察組織の犯罪行為であって全世界に蔓延させられている。


何が起きるかは分からない。然し、どういうことになるかは分かる。全人類が滅ぶ前にどこかに何かが起きる。然し、天からの硫黄であれ、天変地異であれ、人為的なものであれ、原因国、或いは、原因政府、若しくは、原因官庁、または、原因犯罪実行グループの何れかが何らかの方法で厳しく断罪され、全人類の破滅は免れられ人類は定められている世の終わりへと向かう。



注(*1)...今から2022年前イスラエルのベツレヘムにユダ族のイエスが誕生し、公的活動2-3年の32-33歳にしてエルサレムのゴルゴタで十字架刑を受け救いを成し遂げた

注(*2)...「聖書―新約聖書」エフェソの信徒への手紙1章、コロサイの信徒への手紙1章13節~22節

注(*3)...ルカによる福音書5章8節

注(*4)...ヨハネによる福音書3章16節

注(*5)...ルカによる福音書17章1節~2節

注(*6)...ローマの信徒への手紙12章4節~5節、コリントの信徒への手紙一12章12節~27節、エフェソの信徒への手紙4章16節

2022/07/13___以上/

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